
日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手であり、日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成した唯一のアジア人選手である上原浩治氏をお迎えし、輝かしいキャリアを振り返るとともに、これからの野球界やセカンドキャリアについて株式会社ファーストパートナーズ代表取締役 中尾剛と語り合う。
現役時代の振り返りと当 時の資産に対する考え方
中尾:
大学野球での活躍から、日米両チームからのスカウトがありましたが、日本を決断した理由を教えてください。
上原:
当時はアメリカに行きたいという思いも確かにありました。 ただ、スカウトの方から「1 0 0 %の自信がないと来るな」「90%の自信でも来るな」と言われたときに、言葉の壁や医療、食事などいろいろなことを考えると、
自分の中での自信のパーセンテージがどんどん下がっていったので、このままではアメリカでは通用しないと思い日本を選択しました。スカウトが中途半端なアドバイスではなく、はっきりと言ってくれたことが自分の決断の後押しにもなりました。
中尾:
驚異的な活躍と共に20代前半で大きな資産を手にしたと思いますが、使い道や管理はどのようにされていましたか?
上原:
野球選手は最初に契約金を貰うのですが、それは世の中でいう退職金のようなものです。 貯金するという手もありましたが、僕はそのお金を使って両親に家を建てました。
元々団地住まいだったので、「実家が一軒家って格好いいな」という思いがあり、ずっと憧れていた部分ではありましたね。
中尾:
入団当初と比べ、活躍後はお金や資産に対する考え方などは変わりましたか?
上原:
日本の場合は金利が低いので貯金をしてもあまり増えません。 そこで自分の場合は不動産投資をしていました。
マンション経営にも憧れていて、どうやったらいいのか、どのくらい貯めればできるのかなど、周りやすでに不動産投資をしている先輩の話を聞いて、実践していました。
中尾:
野球の話に戻りますが、2008年日本代表として求められ、パフォーマンスを上げていくために壮絶な努力をされたと思いますが、その当時を振り返るといかがですか?
上原:
かなりどん底の時ですね(笑)。この時ちょうどオリンピックで、当時、星野監督が僕を選んでくれたのですが、本当に調子が良くなかったので、お断りの連絡を入れました。
「 このままでは迷惑をかけるので辞退させてください」と伝えたのですが、星野監督がはっきりと「責任は俺が取る。だから来い」と。 こちらはもう「分かりました」しか言えなかったですよ。 その言葉が凄く嬉しく、絶対迷惑をかけないようにしっかり練習と準備をしよう、という思いが出てきました。
先ほどのスカウトの話もそうですが、そういう先輩方の迷いのない言葉に感謝していますし、“100か0か”で言ってくれたから、決断して動けたので凄く有難かったですね。
中尾:
結果的に日米両方でプレーされましたが、環境への適応能力はどのように磨かれましたか?
上原:
アメリカに行って環境が大きく変わりました。 ただ、基本的になるようにしかならないと思いますし、自分の100%以上の力は出ないと思っているので、その場に合わせる対応が大事だと思います。
僕はアメリカで4チームでプレーしましたが、「かしこまっても仕方ない、自分がバカになればいいかな」と思い、言葉の壁を越えてジェスチャーを使ってコミュニケーションを取ったのが最初の他の選手との付き合い方でした。
通訳もいましたが、なるべく通訳とはいないようにしていました。言葉は分からなくてもこちらから溶け込むようにすれば、他の選手も寄ってきてくれたりして。言葉が分からなくても孤立するのではなく、自分から飛び込んでいったのが良かったなと振り返って思います。
中尾:
カブス時代に引退も示唆されていましたが、2018年巨人への復帰を果たしました。 その心境はいかがでしたか?
上原:
本当に迷いましたが、ジャイアンツの監督が高橋由伸だったんです。 そこが一番ですね。 彼とは同級生ですから、彼が監督をやっていなかったら、多分ジャイアンツには戻っていなかったと思います。
でもどうにか貢献したいという思いで戻ったんですけど、貢献できたのは最初の1ヶ月だけで、そのあとは迷惑をかけましたね(笑)。 何回謝ったか覚えていないです。
中尾:
上原さんの中で現役時代にやり残したことはありますか?
上原:
もうやり尽くしたとは思っていますが、ただ怪我との闘いの時期もあったので。 僕らはぶつかる競技ではないですが、肩・肘・ハムストリングなど、怪我をしないようもっと何か予防ができたのではないかと思うときもあります。
そこは悔やまれるポイントかもしれません。 それでトータル2・3年休んだので、その期間もプレーできていれば、もっと良い成績を上げられたんじゃないかなと思います。
中尾:
怪我との闘いの中で支えになったものはありますか?
上原:
「怪我をしてもプロ野球選手ではいられる」、そこが一番大きかったです。 首を切られるんじゃないかという不安はもちろんありましたが、怪我さえ治ればまた野球ができるという環境は一番の支えでした。
正直、浪人時代が一番つらく、自分の生活が本当に嫌だったので、それを考えると怪我は大したことないし、「俺はもっと出来る」という考えだったので、「打たれるくらい別に、怪我しても別に」ぐらいの感覚でいられました。ちなみに背番号の「19」(19歳)も浪人時代のつらさを忘れないという意味合いも込めて、背負っていました

セカンドキャリアと野球界の課題
中尾:
現役時代と引退後、稼ぎ方や考え方などは変わりましたか?
上原:
やはり現役時代に比べて間違いなくお金は貰えなくなります。 そのため、お金の大切さは引退してからの方が身に沁みます。 現役中は球団から本当に良い額を貰っていたので、引退してからその額と同等に稼げるかというと、ほぼ無理です。
どうやって現役時代の収入に少しでも近づけるかを考えると、投資を検討せざるを得ません。また、現役を離れて改めて感じたのは、「スポーツ選手のセカンドキャリア」です。これは本当に永遠の課題です。 野球界だけでなく、サッカー界や他のスポーツ界でも同じ問題があります。
野球はまだ恵まれている方だと思いますが、それでも1軍を行ったり来たりしている選手たちはかなりの不安を抱えています。解説者という職業もありますが、すでに多くの人が就いていますし、トッププレーヤーの人たちがほぼその役割を担っています。
では、1軍半ぐらいの選手が解説者としてやっていけるかというと、中々難しいのが現状です。 そこでセカンドキャリアとなると、みんな困ってしまいます。 どこに働き口を見つけるかが一番の課題です。
本当に毎年のように問題として取り上げられており、球団側も考えているとは思いますが、まだまだ解決には至っていません。
中尾:
最後になりますが、日本の野球界に対して思うことはありますか?
上原:
日本球界は本当に恵まれていると思いますので、あぐらをかかないことが重要です。 年間140試合やって球場も満員の試合が多いですが、一方でテレビの放映はほぼなくなってきているという危機感を持つべきです。
また、アメリカに行く選手が増えていることもあります。 確かに良いことではありますが、今のスポーツニュースはメジャーリーグのニュースが多いです。 日本の野球界は果たしてそれで良いのかと疑問に思うことがあります。
日本の野球界は歴史も古く、なかなか新しい風が吹きづらくなっています。ファーストパートナーズさんはサッカーチームなどへのスポンサーをされていると思いますが、選手やチームへの金融教育も含め、野球界も是非変えていただきたいと願っています。
選手が現役を退いた後の生活を見据えて、しっかりとした支援体制を築くことが求められます。
特に、若手選手には現役中から将来のキャリアについて考える機会を提供し、適切なアドバイスを与えることが重要です。
引退後の人生を豊かにするためには、現役時代に築いた人脈や知識を活かし、新しいチャレンジに対して積極的に取り組む姿勢が必要です。
現役時代の輝かしい実績だけでなく、引退後も充実した人生を送るためのサポートを強化していくことが、日本の野球界全体の発展にも繋がると思います。
本資料は金融とスポーツに関する対談であり、特定の金融商品の購入を推奨するものではございません。 |