
「選手としても、監督としても、ずっと“人”を見てきた。」
誰もがJリーガーを夢見る時代に、佐々木則夫は「サッカーをしながら、社会人として働く」道を迷いなく選んだ。
社業と競技の両立、家族を顧みる余裕もない日々。けれどその中で、彼は常に「人と向き合うこと」に本気だった。なでしこジャパンをW杯優勝に導いたのも、マネジメントの原点はピッチの外で培った“人を見る力”にあった。
本インタビューでは、競技者としての覚悟、指導者としての信念、そして“ノリさん”と呼ばれた人間性に迫ります。
[現役時代について]
━━佐々木さんは現役時代、競技生活の中でどのようにしてモチベーションを維持していましたか
私は実業団(NTT東日本)に所属していたので、「プロになりたい」という意識はあまりありませんでした。
明治大学時代の同期、木村和司君が日本のプロサッカー選手第一号になりましたが、彼は特別な技量を持っていました。私は自分の実力をちゃんと理解した上で、プロとしての道を選びました。
私自身は、仕事をして給料をもらいながらサッカーをできる環境にあったし、引退後も社会に貢献できるという意味で、モチベーションが途切れることはありませんでした。
確かに、どれくらいの年齢までプレーを続けられるかを考えながら、コンディションを整え、さらに社業にも向き合うというバランスを取るのは難しい部分もありましたが、自分自身のモチベーションは維持できていましたね。
それでも、会社の仕事に関わっていると、「どこまでポストを上げたいか」と考えることもあり、いずれは競技を引退し社業に専念しなければとは思っていたので、計画性を持って取り組んでいました。

━━周囲の理解も必要だったと思いますが、問題なく活動できましたか
職場の皆さんがかなり高いレベルで協力してくれましたし、私自身も活動するにあたってルールを守ることを大切にしながら、社業への貢献も重要視していました。
うまくマンパワーでやっていたかなと思います(笑)。
また、将来は指導者としての道も視野に入れていたので、指導者ライセンスを取得するための準備も進めていました。
とにかく休む暇なく動き回っていましたね。家族と長い日程で旅行に行くことはできませんでしたが、競技も仕事も充実していたと思います。
[指導者について]
━━指導者として選手を見る際、重点的に見ている部分はどこでしょうか
スキルはもちろんですが、人間性でしょうか。それはマネジメントを行う社会人にも通じる部分だと思います。
選手に「一人ひとりのプレーをちゃんと見ているよ」と伝えることが大切ですね。良い部分も弱い部分も含めて見ているということを、選手自身に理解してもらうことです。実際に我々は「見ることが仕事」と言えるほど、その部分が非常に重要です。
そして、ただ見るだけではなく、その上で適切にアプローチをしてあげること。一人ひとりに具体的に示してあげることも大事です。
コミュニケーションというか、選手に対して「この部分は前より良くなったね」とか「前のシーズンとちょっとプレーが違うけど何かあったか?」といった声掛けをすることで、選手自身が成長を実感できるようにすることを心がけていましたね。
━━クラブチームと日本代表では、選手と接する時間も大きく異なりますが、選手を見る上での軸を教えてください
日本の選手は海外の選手と比べると体は華奢ですし、フィジカル面では弱い部分があるかと思います。ただしその分、アジリティ(俊敏性)は日本の強みでもあります。
それにスタミナや持久力、技術面でも優れています。そこをベースに高めていくことです。そのためには、これらの特徴を伸ばすための基準を設けてアプローチしていくことです。
クラブチームと違って、日本代表では選手と過ごせる時間が限られているので、シンプルな言葉でも選手にしっかりと伝わるようにすることが、指導者として大事なポイントだと思います。
━━指導者としては男子(トップチーム、ユース)、女子(各カテゴリーの代表)双方を率いてこられましたが、指導するうえで男女の違いは感じましたか
男子・女子で大きくは違わないですね。アンダーカテゴリー(年代別のチーム)では、テクニカル的な要素を重視し、徐々に戦術面へ移行していきます。
一方で、なでしこジャパンなどのトップカテゴリーになると、より戦術的な要素やチームコンセプトへのアプローチが求められます。
ただ、どのカテゴリーにおいても重要なのは、チームとして各世代に応じた「やるべきこと」、「成長するべきこと」を明確に示し、評価をシンプルに伝えること。それを心がけていましたね。
━━初めて女子チームを率いることになった際はどんな心境でしたか
男子チームの指導から女子チームに移った際、やはり最初は戸惑いがありましたね。
そんなとき、当時高校の女子サッカー部に所属していた娘の指導を何度かしたことがあり、その経験が役に立ちました。娘に「女子チームのコーチとU-20の監督の話があるけど、どう思う?」と相談したところ、「パパなら自然体で大丈夫なんじゃない?」と言われ、勇気をもらいました。
まずは自分のスタンスをしっかり伝えて、それが合わなければ修正していこうという方針で臨みました。
なでしこジャパンの監督を務めた際には、言葉がきつめになってしまったことに選手の反応で気づくこともあったので、そのときは女性のマネージャーに確認し、「この言葉遣いは良くないですね」と指摘されたら、その都度修正していました。
「佐々木則夫」という指導者としての人間性を理解してもらうことが、何より重要だったと思います。

━━男子チームでは、女子チームほど、指導者としての人間性を理解してもらう必要はなかったのでしょうか
男子チームを指導していたときは、選手と過ごす時間が長かったため、彼らと過ごしていく中で自然と私の性格を分かってもらえていたので、特別な説明はいらなかった気がします。
でも、なでしこジャパンのような代表チームは、一時的に集まるチームなので、できるだけ早く私のことを分かってもらう必要がありました。
女子選手への言葉遣いについても、私自身がどう成長していくべきかを考えていました。とはいえ、無理に借りてきたような言葉を使っても難しいので、慣れない言葉遣いはせずになるべく自然体で伝え、ダメなときは修正しながらやっていました。
その結果選手たちも「ノリさんはこういう言い方をするけど、悪気はないんだね」と理解してくれるようになりました。
━━なでしこジャパンの監督時は選手から「ノリさん」と呼ばれていたと思いますが、監督として選手との距離感で気をつけていたことはありますか
なでしこジャパンの監督になったとき、選手たちは私がなでしこのコーチ時代から接していたメンバーでした。
コーチの頃から「ノリさん」と呼ばれていたので、監督になって突然呼び方を変えるのには戸惑いもあったようです。マネージャーからも「これまでノリさんって言っていたのに、いきなり監督とは呼びづらいみたいです」と聞いたので、「それなら全然問題はないからノリさんでいいよ」と伝えました。
U-20のチームを見ていたときも、最初は「監督」と呼ばれていましたが、途中から自然と「ノリさん」に変わっていきましたね(笑)
━━これまでのキャリアで最も影響を受けたコーチは誰ですか?彼らから学んだ最も重要な教訓はありますか
まず、帝京高校サッカー部時代の古沼貞雄先生(監督)ですね。高校時代の3年間と卒業後のお付き合いの中で、監督としてのフィロソフィー(哲学)や立ち居振る舞いを教えてもらいました。
もう一人は高橋英辰さんです。すでにお亡くなりになっていますが、元日立製作所の監督で、日本代表の監督も務められた方です。
非常に論理的で緻密なサッカーへの意識を持たれており、さらに高いレベルの考え方を高橋さんから教わりました。
このお二人の影響が特に大きいですね。
━━試合前に験担ぎのようなことはされていましたか
験担ぎというほどではないですが、道にゴミが落ちていたら拾うようにしていました。
道徳心を大切にするという意味もありますし、そういう行動が自分に返ってくるのではないかと思っています。拾わずに通り過ぎた後にはやはり気になってしまい、戻って拾うこともありましたね(笑)。
━━2011年W杯決勝のPK戦前に笑顔を見せていたのが印象的でした。ストレスやプレッシャーとはどのように向き合っていましたか
プレッシャーのある場面で指揮を執れることは光栄なことだし、選手たちもそうした状況でどうプレーするかを求めて、日々考えながら練習しています。
だからこそ、プレッシャーがあればあるほど、素晴らしい場面で戦えることに感謝し、楽しむ方に切り替えることが大事だと思っています。
プレッシャーがないよりも、あることで選手の表現力は高まるし、より充実した試合につながると思っています。
2011年の決勝でニコニコしていたのは、先制されて追い付いたら、さらに追加点を奪われて、でもまた追い付いてPK戦に持ち込めたという素晴らしいパフォーマンスに対しての感謝の気持ちがあったからです。PKキッカーは当然プレッシャーがありますが、もう楽しむしかないですよね。
ちなみに、キッカーの4番手だった澤(穂希)選手が、「私蹴れない」と言い出したことがあり、周囲は「ずるーい」と言っていた場面もありました。私も「同点シュートを決めてくれたし、許してやれよ」と言ったりして、自然と笑いが生まれていましたね。

━━挫折に対してはどのように立ち直りましたか?2012年ロンドン五輪の表彰式で選手が笑顔だったのは、何か働きかけをしたのでしょうか
1-2で負けている状況で、FWの選手は決めきれなかったことを悔やんで、かなり泣いていました。
でも選手たち自身が「こんな素晴らしい舞台で戦えたことは誇りだし、私たちはここまで来られたんだよ」とか「こんな舞台に立てたことは忘れられない思い出になるんだから」と声を掛け合いながら、みんなで気持ちを切り替えた感じでした。
そのとき自然に笑顔が出ていましたね。
━━短時間での切り替えは難しかったのでは
優勝したアメリカのコーチから「負けたのに喜んでいるように見える」と言われ、「いやいや、彼女たちは精一杯やって、楽しく戦えた試合だったからだよ」というやりとりもありました。
あの場の空気感がそうさせたのだと思います。
━━表彰式での出来事も含めて、自主性を指導するのは難しいと感じます。サッカーの場合は、試合が始まればピッチ上は選手の領域。自主性をどう指導されていましたか
男子に比べて、女子選手は指示を求める場面が多かったですね。例えば「これでいいですか?」「今のプレーは良かったですか?」といったように、評価の基準などを確認しようとする姿がよく見られました。
でも、サッカーは個々の判断が重要なので、方向性が合っていれば、パスが前でも後ろでも横でもいいし、ドリブルでもいい。良い試合につながることが大事です。そういった自主的な判断を身に着けることには時間がかかりました。
サッカーは、ボールを持つ選手だけでなく周囲の選手にも自主的な瞬時の判断が求められます。監督が細かく指示を出しすぎると、プレーのテンポが遅くなってしまいます。そのため、数年間かけて選手の自主性を育てることを意識してきましたね。
後編「なでしこを世界一に導いた指導者・佐々木則夫の“人を育てる力”」6月23日公開予定
〈プロフィール〉

佐々木則夫
1958年5月24日生まれ。日本のサッカー指導者で、元なでしこジャパン(日本女子代表)監督。
山形県尾花沢市出身で、明治大学卒業後、日本電信電話公社に入社し、NTT関東サッカー部(現・大宮アルディージャ)でプレーした。2008年から2016年まで日本女子代表監督を務め、2011年のFIFA女子ワールドカップで日本を初優勝に導いた。2012年ロンドンオリンピックでは銀メダルを獲得し、2015年の女子ワールドカップでは準優勝を果たした。現在は日本サッカー協会女子委員長として、女子サッカーの発展に尽力している。