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武田美保インタビュー後編 メダリスト光と影|限界のシンクロ人生、どん底から這い上がった本当の強さ

「武田美保インタビュー前編 メダリスト光と影|限界のシンクロ人生、どん底から這い上がった本当の強さ」の後編です。


【マネジメントとセルフコントロール】

立花さんは本当にストイックな方でした。一方で私は、若い頃からわりと計算するタイプでした。

練習メニューを聞いて、「これはハードだな」と感じたら、最後までやり切るために、最初から配分を考えてスタートしていました。考えることが好きだった分、がむしゃらさみたいなものはあまりなかったのかもしれません。

先生からも「あんたに省エネ大賞あげるわ」と言われていたくらいです(笑)。

正直、しんどいとしか思えないことを毎日続けるのは難しいです。だからこそ、たくさん課題がある中でも「今日できたことを毎日1個見つける」ということを、小さい頃から続けていました。毎日1分くらいで振り返れられますし、「これはできた。私って天才」と自分を褒められる材料を見つけることが、モチベーションを保つ方法でした。

同年代の一般の子と比べると、かなりのカロリーを摂取していたと思います。

ただ、選手の中では特別多いわけではなく、出されたものをきちんと食べていれば体重を維持できるタイプでした。中には、もっと食べなければいけない選手もいましたが、私は管理栄養士さんが用意してくださった食事を毎回きちんと食べきることを意識していました。

自宅での食事についても管理栄養士さんから指導を受けていたので、外食でもメニューを見れば「これは○キロカロリーくらいだな」と自然に頭に入っていました。

その日に脂質が高いものを食べたなと思ったら、翌日は無意識にリセットできるような食事を選ぶ思考回路が身についていましたね。


【短時間で成果を出す指導の工夫】

良いか悪いかは別として、現役時代から私は「最小限で最大の効果を出す」ことを常に考えてきました。

現在は三重県で指導していますが、練習時間は比較的短く、水・木・土・日の週4日です。水曜と木曜は学校が終わった後に遠くから通う選手も多く、2時間ほどしか練習時間がとれません。

短い時間で結果を出すために、何をすべきかを選手と一緒に考えています。反復練習が不可欠なのは変わりませんが、それは時間の取れる土日に行います。水曜・木曜は短いからこそ高い集中力が必要です。

練習前には「今日の練習後に何を獲得できたと言えるように意識してね」と伝え、終わった後には「次の練習までに、こういうことを考えてきてください」と声を掛けるようにしています。

東京オリンピックの翌年から、かなり大きな変更がありました。動きや足技に難易度のコードがつき、コーチが試合の1週間前までに構成を提出し、審査される仕組みになりましたます。

「このコードは何個まで」「順番を間違えると基礎点しかもらえない」など、制約は非常に厳しくなりました。

回転数によって「R6c」などのコードが振られ、そこに水面からの高さや出来映え点などが掛け合わされます。予選と決勝で求められる内容や評価も大きく異なり、同じ競技でもまったく別物に感じるほどでした。

そうですね。必ず構成に入れなければならない技の基準が変わったこともありましたし、使用曲がちょっとずつ短くなったこともありました。


【プレッシャーとの距離感】

中学生の頃からジュニア世界選手権の代表に選んでもらい、遠征などの経験を積ませてもらいました。

大会の成績が良い時と悪い時では、大会1週間前くらいからメンタルの状態が違うことが、自分で分かるようになってきました。

調子が良くない時は、「あの人に勝ちたい」といったように意識が外に向き、他の選手の出来に影響を受けやすくなっていました。そうした経験を重ねるうちに、自分の好不調の波が分かるようになり、調子が良くない時でも気持ちに歯止めをかけられるようになりました。

忘れてしまった時に、気持ちがざわつくのが嫌だったので、特別な験担ぎはしていませんでした。

ただ、必ずメイクをする競技なので、アイラインを引くときだけは、その筆に迷いなく細く長く、シュッと引くことを大切にしていました。それが自分なりの小さなルーティンだったのかもしれませんね。


【お金との向き合い方とこれからの目標】

現役時代のお金の管理は、家族に任せていました。ほとんど合宿生活でしたし、日常的にお金を使う時間的な余裕はあまりなかったんですよね。

強化選手時代には、totoの助成金がありました。これは一定の基準を満たし、年度ごとに採択された選手に、あらかじめ決められた金額が支給されるものです。遠征の予定などを確認しながら活用をしていました。

助成金の主な使い道は、体のメンテナンスや楽曲の編集、交通費、合宿にかかる個人負担金などです。ただ、それだけでは全く足りず、常に赤字状態で、不足分は親に負担してもらっていました。

お金に余裕があるとは言えない中での現役生活でしたので、今振り返ると、あの頃はまさに「修行の時代」だったと思います(笑)。

そうですね。友人と買い物に行ったり、食事に行ったりと、普通のことを普通にできることが幸せだと感じるようになりました。

あとは結婚をきっかけに価値観も変わって、子供のために使ってあげたい、という意識が自然と生まれましたね。

それは選手の立場によって違うと思います。アマチュアではあっても、実質プロのような活動をしている選手もいますよね。そういう選手には、やはり金融の知識は必要だと思います。

私自身は、当時はそういう立場ではなかったので、現実的には必要性を感じていませんでした。ただ、近年は早くから独り立ちしてプロとして活動する選手も増えています。

ほんの一握りではありますが、貯金がいいのか、運用がいいのか、その選手の状況に応じてアドバイスを受けられる環境はあったほうがいいと思います。

NISAについては自分で調べたり、銀行の方にメリット・デメリットを聞いたりしました。結局まだ始めてはいませんが、日本より金利が高い国の外貨預金はやっていますね。


【次世代へつなぐ思いとこれからの目標】

私が現役の頃の指導方法は、今の時代では必ずしも良いとされない部分もあると思います。

ただ、その中で「こうやって乗り越えたよ」とか、「夢や目標を実現するためには、これくらいの熱量が必要だよ」といった、自分の経験を次世代に伝えていきたいと考えています。私自身がそれを実感しながら選手生活を送ってきたので、何らかの形で還元したいですね。

選手育成は、選手それぞれに個性があって面白くもあり同時に難しさもあります。それでも、一度でも関わった選手が「この競技をやっていて良かった」と思える瞬間を持てるよう、手助けができれば嬉しいなと思っています。

自分のためというよりも、人や社会の役に少し立てることを増やし、それを継続していくことが、これからの目標です。


〈プロフィール〉

〈プロフィール〉

武田 美保(たけだ みほ)

1976年9月13日生まれ。日本の元アーティスティックスイミング選手(デュエット・チーム)。京都府京都市出身。

四天王寺高校、立命館大学を経て、13歳でジュニア日本代表に選出され井村シンクロクラブへ入部。シニア代表入り後は立花美哉とのペアで中心選手となり、抜群の同調性と豊かな表現力から繰り出す力強く美しい演技を武器に、世界屈指のスイマーへと成長した。

1996年アトランタ五輪から3大会連続で日本代表に選出され、日本のメダル獲得にも貢献。2000年シドニー五輪で銀メダルを獲得した後も主力として日本を牽引し、2001年には世界水泳で日本史上初の金メダルを獲得。2004年には日本女子選手で当時最多となる通算5個目の五輪メダルを獲得するなど、世界の第一線で輝き続けた演技でファンを魅了した。

FPメディア編集部

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