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大畑大介 後編「誰もやっていない道を選ぶ」──大畑大介が語る、挑戦と成長の原点

「大畑大介 前編「誰もやっていない道を選ぶ」──大畑大介が語る、挑戦と成長の原点」の後編です。

大畑大介

[海外]

━━2002年にフランスのチームへ移籍して挑戦されました。ラグビーは体の大きさがダイレクトに影響するスポーツだと思いますが、そこで得たものはどんなことでしたか

1999年のW杯に出場しましたが1勝もできませんでした。W杯の舞台に立って、初めて世界のレベルがどこにあるかを痛感しました。

今みたいに毎年世界のトップレベルと対戦できるわけではなかったので、この1999年の経験を糧に次の2023年のW杯で結果を出すためには、「何かを変えないといけない」という危機感がありました。

その時に考えついたのが環境を変えることでした。海外に挑戦しようと!

━━現地ではやはりフィジカル的な違いを感じましたか?それとも戦術的な部分ですか

一番感じたのはメンタルの違いですね。僕の場合、日本では心のバランスでプレーに影響が出ることがありました。

ボールが自分のところに来れば仕事ができましたが、フランスではそもそも僕みたいな日本人にはボールが回って来ない。それはつまり、仕事をさせてもらえないということで、チームからは評価されないし、試合にも出してもらえません。

ボールが回ってこない理由は明確でした。信頼されていないからです。だから、ボールがないときのプレー、守備を意識するようになりました。

ヨーロッパでは僕は体が小さい方だったのですが、タックルに行って吹っ飛ばされても何度も食らいついて泥くさいプレーをすると、「あいつ頑張ってるな」と思ってもらえるようになりました。

信頼を得られると、ボールが回ってくるようになり、試合に出られるようになったんです。

高校時代、懸命に練習して初めてユニフォームをもらったときの喜びが蘇りましたね。試合に出ることの意味を改めて強く感じましたし、メンタルに左右されず一定のパフォーマンスを出せるようになったのは大きな収穫でした。

結果として大きな成果は残せませんでしたが(編集部注:チームの外国人枠の関係もあり)、それ以外の部分で得たものは本当に大きかったです。

大畑大介

[チームでそして代表で]

━━W杯に出場されましたが、日本代表と所属チームでの役割の違いは感じましたか

状況に応じて「何を求められているか」を常に考えてプレーしていました。

若い頃から代表に選出してもらえていたので、年長者の方々の振る舞いもよく見ていましたね。そのおかげで、自分が年長者になったときにどうすべきか、は分かっていました。

そういう意味で戸惑いはなかったものの、代表チームをW杯で勝たせられなかったのは、まだまだ自分の力が足りなかったんだと思います。

━━重圧やプレッシャーとどう向き合っていましたか?敢えてプレッシャーと向き合ったのか、それとも別の方法がありましたか

プレッシャーの中で生きられるなんて、素敵じゃないですか。周りから期待を寄せられる選手はそう多くはいないです。

ラグビーは他のスポーツのように各個人で持ち番号の背番号はありません。各ポジションには決まった背番号があります。つまり、その背番号のついたジャージを着て試合に出るということは、チームを代表して戦うことです。

だから僕は試合に出れない仲間の思いを背負ってプレーしていました。国を背負って日本代表として試合をする時も、周りの人の大きな期待を受けてグラウンドに立てることを誇りに思っていました。

その思いを表現できるのは自分しかいない。それができることは、ものすごく幸せなことだと思っています。

━━成功するために意識していた習慣やルーティンはありますか

現役のときはありましたよ。試合の日は「赤いパンツを履く」です(笑)。社会人になってからですが、1週間のパンツのルーティンがあって、試合の日はスイッチを入れる意味でも赤パンでしたね。

当時は1年に1回、全部のパンツを新しく買い換えて、リセットするようにしていました。

高校時代は、試合前日にスパイクを磨いたり、履くときは左足から履くとか、小さなルーティンを持っていましたね。

━━今も赤いパンツは履いていますか?(笑)

さすがに今は履いていないです(笑)。

でも、寝る前に必ずお風呂に入って湯船につかるのは、ルーティンとして今も続けています。1日の汚れだけでなく、心もリセットしたいんです。

ダメだったら「翌日はこうしよう」、良かったら「良かったな」と心に問いかける時間を作っている感じです。子供が小さいときは、お風呂に入れて寝かしつけた後、もう一度ひとりで湯船につかっていました。

━━7人制ラグビーもされていましたが、15人制とはどんな違いがありましたか

7人制は体の使い方も全然違うし、感覚もかなり違う。いろんなタイプの選手が出てきますね。

僕は7人制に出るときは、普段より髪を伸ばしていました。アジア人は同じ顔に見られがちなので、髪を伸ばすことで個性を出して、「日本にこんな選手がいる」と印象に残るようにしたかったんです。

[お金の管理]

━━お金はどのように管理していますか

基本的に妻に任せています。僕は気分が良くなると使ってしまうタイプなので(笑)。

大畑大介

━━お金の使い方に対する考え方はどう変化しましたか

家族を持つと変わりますよね。昔から変わらないのは、僕は自分にお金を使うのがあまり得意じゃないんです。

スポーツマンNo.1決定戦で優勝したときは、両親にお年玉をプレゼントしたり、妻や子供たちにもサプライズでプレゼントを贈ったりしました。プレーヤーとして、人に笑顔になってもらうことが一番ハッピーでしたね。

━━若い頃にお金に対するレクチャーがあったらよかったと思いますか

それはもう、してもらいたかったですね。もっと勉強するべきだったと思うし、子供たちにはぜひ学ばせたいです。

日本だとお金の話はタブーみたいな雰囲気がありますよね。でも、しっかり知っておくことが大切だと思います。今度ファーストパートナーズさんに教わりたいです(笑)。

〈プロフィール〉

大畑大介(おおはた だいすけ)

1975年11月11日生まれ、大阪府大阪市出身の元ラグビー日本代表選手。東海大学付属仰星高等学校、京都産業大学を経て、1998年に神戸製鋼へ入社。
日本代表として58キャップを獲得し、69トライの世界記録を樹立。1999年、2003年のワールドカップに出場し、日本代表の中心選手として活躍。2006年にはアジア選手権で主将を務めた。
怪我と向き合いながらも不屈の精神でプレーを続け、2011年に現役引退。2016年にはワールドラグビー殿堂入りを果たし、現在はラグビーアンバサダーとしてスポーツ振興や地域活性化に尽力している。

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FPメディア編集部

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