
「ぶれずに、戦い続ける。どんな場所でも、自分らしく。」
FC東京のアカデミーからトップチームへ。さらにロシア、スペインと海外の地でも戦い抜いてきた橋本拳人選手。
プロ入りは高校2年生。早すぎる昇格の裏にあった自信と葛藤。ロアッソ熊本でつかんだ手応え。厳しい環境の中で見つけた自分のスタイル。そして、帰国後に再び戻ったFC東京での現在の姿。
今回は、そんな橋本選手にインタビューを行いました。
ポジション転向の意味、海外での苦悩と手応え、若手との関係性、そしてお金や将来への価値観まで。ピッチの内外で見せる「リアルな橋本拳人」の姿をお届けします。
「サッカー」について
━━アカデミーから東京のトップチームに昇格したときの気持ちは
高校2年生のときにトップチームに昇格させてもらいました。通常より1年早い昇格だったので、自信はありましたが、それでも驚きはありました。
夢が叶ったという喜びと同時に、「厳しい世界に飛び込んでいくんだ」という緊張感もあったのを覚えていますね。
━━プロ入りが具体的な目標となったのはいつ頃でしょうか
小さい頃からずっと夢には見ていました。中学にあがった頃は周囲と比べても全然だめで、何度も「プロに行くのは難しい」と挫折を感じた時期もありました。
中学まではフォワードとして攻撃的なプレーをしていましたが、高校にあがってから今のポジションでもあるボランチにコンバートされました。自分としてもフォワードとしてプロになるのは難しいと感じていたので、そのタイミングでのポジション変更は大きかったです。
ボランチに移ってからは、攻撃的な部分を活かしつつ、守備面でも自分の良さを見いだしてもらえて、「このポジションならプロを目指せるかもしれない」と思えるようになりましたね。
━━本業ではないポジション、例えば右サイドバックで出場していたこともありましたよね
試合に出られるなら、どのポジションでも出たいと思っていましたし、サイドバックを任されたたこともありました。ただ、どのポジションでも「自分の良さをどう出せるか」ということを常に考えてプレーしていました。
━━ロアッソ熊本で経験を積んだことは大きかったでしょうか
プロとして初めて公式戦に出場させてもらったのはロアッソ熊本でした。すごく思い出深いクラブですね。
FC東京ではなかなか出場機会が得られない中で、ロアッソ熊本に行かせてもらって自信をつかむことが出来たので、今でも強い思い入れがあります。

━━ロアッソ熊本での経験から、最も学んだことはどのような点でしたか
一番大きかったのは、自信を持てるようになったことです。
それに加えて、毎週試合に出させてもらう中で、コンディションの整え方や、リカバリーの方法、その一方でフィジカルをどう向上させるかなど、そういったバランスみたいなものを年間通して実践しながら学ぶことが出来ました。
出場機会がなかった頃は、とにかく毎日追い込んで体力を向上させることを意識していましたが、試合に出られるようになると、疲労をコントロールしなければなりません。
試合で常に100%の力を出すためには、どう行動すべきかを考えることが出来るようになったことは、自分にとって大きな学びです。
━━軽傷ではないケガも経験されていますが、メンタル面のケアはどのようにしていましたか
ケガは本当にたくさんしました。膝の手術は3回経験していて、半年近くサッカーができない時期もありました。
落ち込んでいても仕方ないですし、ケガの期間で何を学べるか、復帰後にどうなれるかを考えながら日々過ごしていました。
━━プレースタイルは大きく変わっていないように見受けられますが、その秘訣はありますか
自分の持ち味はハードワーク。相手からボールを奪って攻撃の起点になることは常に自分の強みで、プロになってからもずっとそこは変わらずやり続けています。
もちろん監督や戦術によって求められることが違うので、自分の苦手なことや、伸ばさなければならない部分が出てくることもあります。ただその中でも、「自分の強みを出せばチームに貢献できる」と信じてプレーしています。
━━海外に挑戦したいという気持ちは以前から持っていましたか
漠然とはありましたね。でもプロに入ってからしばらくは試合に出られない期間が続いていたので、現実的に考えることはできませんでした。
でも、継続的に出場できるようになり、日本代表に選出してもらったくらいから、「海外に挑戦したい」という気持ちが強くなっていきました。
━━ロシア・FCロストフでもプレーされました。日本ではあまりなじみのないリーグですが、言える範囲で移籍の経緯を教えてください
とにかく「どこにでも行ってみたい」という気持ちが強く、最初に現実的なオファーをくれたのがFCロストフでした。
他のチームにも可能性はありましたが、「とにかくヨーロッパに挑戦してみたい」という想いで移籍を決めました。
━━ロシアでの生活において、苦労した点はありますか
正直、ロシアという国の情報をあまり知らなかったので、行きの飛行機ではかなりビビってました(笑)。
ロストフはモスクワからちょっと離れた場所だったので、より想像がつきにくくて、「どんな国なのだろう」「どんな街だろう」と不安で。しかも日本人がこれまでプレーしたことのないチームでしたし。
でも、もともと新しいことにチャレンジすることは好きだし、好奇心やわくわくする前向きな気持ちもありましたね。
━━実際のプレーや生活面はどうでしたか
やっぱり最初は大変でした。言葉の壁もそうですし、最初はチームメイトの中でもあまり受け入れてもらえていない空気も感じました。
だからこそ、まずは「プレーで見せるしかない」というところがスタートでした。チームに外国人選手は5、6人いましたが、ほとんどが地元ロシアの選手だったので、アウェイ感を感じることもありました。
━━体格面では日本人選手はどうしても劣る部分がある気がしますが、そのあたりはいかがでしたか
トレーニングからして全然違いました。筋力トレーニングはかなりやらされましたし、走り込みもすごかったです。
体重や体脂肪率も徹底的に管理されていました。体重は2日に1回測定があって、ちょっとでもオーバーしていると1時間走らされたり、エアロバイクを1時間漕ぐように指示されたりすることもありました。
自分が思う適正体重より2キロくらい軽い体重を指定されていたのであまり食べられず、ずっと減量生活みたいな感じ。つらかったですね。
クラブではビュッフェ形式の食事が用意されているのですが、それまで食べていた量より減らさなければならなかったのはきつかったです。

━━FCロストフでは約2シーズンで29試合に出場。厳しい生活の中でもそれだけの実績を残せた秘訣はどこでしたか
その国やそのチームのやり方を受け入れなければならないと思っていました。
外国人選手としてプレーする以上、結果も残さなければならないので、それも成長できるチャンスと思っていましたね。日本人として出来ることを100%やって、結果を出すことにフォーカスしました。
━━2022年の情勢変化について、どのように感じましたか
報道とのギャップに戸惑い、不安もありましたが、最終的にクラブと相談して帰国を決めました。
━━経済面での影響はありましたか
通貨の急変動があり不安はありましたが、冷静に状況を見極めて対応した感じですね。
━━帰国後、再び渡欧してスペインではSDウエスカ、SDエイバルでもプレーされました。まず、生活面はいかがでしたか
スペインはずっと行きたいと思っていた国だったので、行けたときはうれしかったです。
食べ物もおいしくて人も陽気で、気候も良いというイメージでしたが、実際そのイメージ通りで、現地に着いた初日から温かく受け入れてもらえたのを覚えています。
スペイン語は分からなかったけど、それでもめちゃくちゃスペイン語で話しかけてくれて、食事にも誘ってもらえて。「言葉は通じなくても、受け入れてもらえた」と感じられて、ありがたいなと思いましたね。
━━プレー面ではいかがでしたか
スペインといえばFCバルセロナのような「パスをつなぐティキタカ」という印象が強かったんですが、実際は監督によってスタイルが全く違いました。
最初の監督は守備的なスタイルで「あれ、全然ティキタカじゃないな」と思いました。でも2人目の監督はすごく戦術的で、「これぞスペインサッカー」と感じる面白さがありました。練習の段階からものすごく細かくて驚きましたし、ミーティングの内容も細かくて難しかったです。
「こういう状況ではこう動け」という指示を箇条書きでいっぱい書いてくれるんですけど、正直覚えきれませんでした(笑)。スペインの2部リーグは外国人枠が2人で、僕以外は全員スペイン語を話せる選手ばかり。そんな環境が2、3年続きました。
━━言葉の壁はいかがでしたか
「スペイン語を分かってないのでは?」と思われることもあったと思いますよ(笑)。監督からすると「使いづらい選手」だったかもしれません。
自分が良いプレーをしたつもりでも、監督の意図とずれていると怒られることもありました。そこはかなり難しかったですね。
━━海外でプレーする上で最も大切だなと思ったことは何ですか
やはりメンタル面が大事だと思います。プレーで違いを見せることができたり、練習からしっかりパフォーマンスを出せれば、監督やチームメイトも認めてくれます。
そうなると、多少言葉が通じなくても、「自由にやらせておけば大丈夫」と思ってもらえるようになります。とはいえ、やはりその国の文化になじむための努力も大事で、そのためにオープンマインドでいることがすごく大事だと実感しました。
━━理想の選手像やプロになる前に好きだった選手はいますか
ずっと憧れていたのは中田英寿選手です。彼のように海外でも堂々とプレーできる選手を目指してきました。

チームメイトやクラブとのマネジメント
━━31歳になり、いわゆる”ベテラン”の域に入ってきましたが、周囲や若い選手との接し方で難しさはありますか
FC東京に戻ってくるとき、年齢的にチーム内では上のほうになることは分かっていました。
だから最初は「ちょっと威厳を出して、ピリッとしようかな」と思っていたんです。ですが、全然無理でした(笑)。若手にはめちゃくちゃ絡まれるし、自分自身もその方が楽しくて。
完全にナメられていますね(笑)。もともと性格的に威厳を出すタイプではないし、言葉でチームをまとめるのも得意じゃないんです。
クラブからは「ベテランとしてチームを引っ張ってくれ」と求められたのですが、1週間くらいで「すみません、無理です」って伝えました(笑)。
━━各カテゴリーで日本代表に選出されてきましたが、意識に変化はありましたか
代表に呼ばれたときは、やはり周りのレベルが高かったので、自分にとっても大きな成長の機会になりました。
チームメイトもレベルが高い選手ばかりで、「自分もそこに行きたい」と思えるきっかけにもなりました。クラブに戻ってからは「プレーで見せなければ」というプレッシャーもありましたが、それも成長につながったと思います。
━━日々のトレーニングやコンディション管理で気を付けていることはありますか
年齢を重ねてきて、自分の体と向き合う時間が増えました。これまでは多少の疲労があっても、トレーニングをこなしていましたが、今は少しでも回復させて、ベストな状態で臨めるように意識しています。
基本的なことですが、温冷の交代浴をしたり、睡眠時間を確保したり、栄養管理、マッサージの頻度も増やしました。また、リカバリーだけではなく、体を動かさないとフィジカルは落ちていってしまうので、そのあたりのバランスを考えながら日々取り組んでいます。
━━試合のVTRはご覧になりますか
試合後にすぐに見ます。良かったプレーだけじゃなく、課題点もしっかり確認して、次に活かせるようにしています。
━━ご自身の過去の良いプレーも見返したりするんですか
YouTubeにアップされている試合映像などは、たまに見たりしますよ。試合前に気持ちを高めるために見ることもあります。
━━ご自身のプレーで迷いを感じることはありますか
「どうしたらうまくいくか」ということは常に考えています。チームの流れが良くないときもありますが、そういうときほど考えることが多いです。
でも一番大事なのは「自分のパフォーマンスをどう高めるか」です。どういうプレーをすればチームに貢献できるかを日々考えています。
重圧との向き合い方
━━日本代表などでのプレッシャーとは常に背中合わせだと思いますが、その向き合い方は
もちろんプレッシャーは感じますし、不安になることもあります。
でも特別な対処方法があるわけではなく、日々やるべきことをやって、しっかり準備をし続けるだけです。それでも良いパフォーマンスが出せなかったら仕方ない、と納得できるくらいまで準備をするようにしています。
━━この選手を参考にしているという人はいますか
森重真人選手です。僕がプロ入りした1年目のときから、彼の背中を見て「こういう選手になりたい」と思ってやってきました。今また同じチームで一緒にプレーできるのは本当にうれしいです。
年齢を重ねても変わらず努力し続ける姿を見ていると、自分も気が引き締まります。コンディションが万全ではない日も、常に試合に向けて準備を怠らない。その姿は真似したいと思っていますし、こういうキャリアを重ねたいと思わせてくれる存在です。
━━ご自身のFC東京での”ベストゲーム”は
やっぱり初ゴールを決めた試合ですね(2015年6月7日J1第15節 松本山雅FC戦)。
この試合が初スタメンでしたし、自分の人生を変えてくれた一戦だと思います。あのゴールが一番自信をもたらしてくれた。「チャンスを活かすにはゴールしかない」と思って臨んだ試合でした。

お金との向き合い方
━━お金の使い方や考え方は、年齢を重ねるごとに変化していますか
あまり無駄遣いをせずに、現実的な使い方をしていますね。
最近はチームで食事に行くと、年齢的に僕が最年長ということもあって、僕が払わないといけません。若手たちにもよくたかられますね(笑)。
将来を見据えて、貯金や投資についても考えるようになりました。
━━投資も始められたんですか
海外にいた間はなかなか難しくて、ほとんど手をつけていませんでした。帰国してから少しずつ始めました。株を始めたり、空いた時間で投資の勉強をしています。
━━資産管理はご自身でされていますか
基本的には自分で管理しています。信頼できる詳しい人に相談することもありますが、自分自身で勉強しておくことが大事だと思っているので、勉強しています。
━━海外の選手はいろいろ運用しているイメージですが、チームメイトと話す機会はありましたか
運用している選手は本当に多くて、みんな詳しかったですよ。僕は当時何もしていなかったのであまり話には入れせんでしたが(笑)。
仮想通貨とか株に詳しい選手も多かったです。
最後に
━━現在の目標は
FC東京に戻ってきた理由のひとつが、Jリーグで優勝すること。だから目指すのは、やはり”優勝”ですね。
━━もしサッカー選手になってなかったら何をしていましたか
警察官ですかね。正義感強いんで(笑)。小学生のときの卒業アルバムにもそう書いていましたね。
〈プロフィール〉

橋本 拳人(HASHIMOTO KENTO)
2009年にFC東京U-15からFC東京U-18に昇格し、2012年に高校2年生でトップチーム登録。2018年には日本代表に初選出され、国際舞台でも活躍。ロアッソ熊本、ロシアのFCロストフ、スペインのSDウエスカ、SDエイバルなど、国内外のクラブで経験を積み、2023年にFC東京へ復帰。
ボール奪取力に優れた守備力と運動量を武器に、中盤で攻守を支えるボランチ。強度の高いプレーとハードワークでチームに貢献する、タフで献身的なミッドフィルダー。