
「『強くなりたい』という気持ちだけです。成功するということ以外に選択肢がないと思っていました」
異国から来日し、日本の大相撲で大関に上り詰めた鳴戸親方(元琴欧洲)。現役時代の原動力から現在の指導論までを語る。
ヨーロッパ出身力士として初めて幕内最高優勝を果たし、大関として一時代を築いた鳴戸親方。大学1年生で来日した当初の苦労や、ケガと向き合いながらも決して稽古を休まなかった不屈の精神は、引退した今も色褪せることがありません。
現在は鳴戸部屋の師匠として、弟子たちに相撲の技術だけでなく、社会を生き抜くための「学び」を伝えています。自らのハイパーインフレの経験から語るお金の価値や資産運用の重要性など、次世代へ向けた深い思いに迫りました。
【「負けたくない」――鳴戸親方を突き動かした現役時代の原動力】
━━現役時代、モチベーションを維持できた秘訣を教えてください
「負けたくない」という気持ちですね。本当にそれだけです。本場所は2カ月に1度あります。調子が上がっている時は、「早く次の場所が来て欲しい」と思うんです。次の場所でどんな相撲を取ろうか、もっと強くなりたいという気持ちが自然と出てくる。
一方で、引退が近づいてくると「もう次の場所が来たのか」と感じるようになりました。現役の頃は当たり前だと思っていた2カ月という時間も、最後のほうになると、時間の流れ方が違って感じられましたね。
━━最も影響を受けたのは、やはり先代の佐渡ケ嶽親方(第53代横綱・琴桜)でしょうか
もちろん、佐渡ケ嶽親方です。声をかけていただいたこともそうですし、「俺についてこい」と引っ張ってくださいました。右も左も分からない中で相撲の世界に入るわけですから、最初は不安もありました。
でも、「この人についていけば自分も頑張れる」と思えたんです。それが入門を決める大きなきっかけになりましたし、その後の自分の相撲人生にとっても、大きな存在だったと思います。
【「先進国のはずなのに……」――ブルガリアから来日して直面した日本の現実】
━━何度も聞かれていると思いますが、来日してすぐの苦労はありましたか
苦労しかありませんでしたよ(笑)。大学1年生の時に来日したのですが、それまでとは全く別の世界でしたから。当時はまだインターネットも普及していなかったので、日本について知る手段は、ドキュメンタリー番組くらいでした。番組で見る日本は先進国で、東京には高層ビルがあって、ネオンがあって、みんな忙しそうに電車に乗っているイメージでした。そんなすごい国で自分でも挑戦してみたいと思って、期待を抱いて来日したんです。ところが、実際に来てみたら全然違いました(笑)。
ちょうど8月だったのですが、空港に着いた瞬間、あまりの湿気に驚きました。息ができないほどで、初めての経験に「みんなどうやってこの暑さの中で過ごしているんだろう」と思いましたね。しかも当時、稽古場や部屋にはエアコンはありませんでした。番付が上がらないと扇風機も使えない時代だったので、少しでも涼しい廊下で寝たり、屋上で寝てみたり。とにかく必死に暑さを凌いでいました。「先進国に来たのに、18世紀にタイムスリップしたのか」と思っていました(笑)。
ブルガリアではレスリングの代表に選ばれていたので、ホテルや食事など、ある程度恵まれた環境で競技をしていました。それだけに、日本に来てからの環境との落差には本当に驚きましたね。それでも、環境が整っていないからできない、ではなく、「ここでやるしかない」という気持ちで毎日を過ごしていました。

【「強くなりたい」――必死に稽古を重ね、つかんだ初優勝】
━━スピード出世を果たされましたが、当時のモチベーションになったものは何ですか
「強くなりたい」という気持ちだけです。入門したばかりの頃は、夜になると「なんでここに来てしまったんだ」と泣くこともありました。それまでとはまったく違う環境でしたし、最初は精神的にもきつかったです。それでも朝になったら、もう稽古をするしかない。泣いても何も変わりません。親方に相談しても、「嫌だったら強くなれ」と言われるだけでした(笑)。
自分には、成功するということ以外に選択肢がないと思っていました。だから、とにかく1日でも早く関取(十両以上)になりたかったんです。そう考えていたので、関取になれた時が一番うれしかったですね。個室が与えられるし、給料も受け取れるようになる。「見習い」が終わったという感覚がありました。
━━2008年5月の夏場所で初優勝されました。この時の気持ちを教えてください
それまでには優勝決定戦で敗れたこともありましたし、14勝1敗でも優勝できないほど、非常にレベルの高い時代でした。横綱には朝青龍関と白鵬関がいて、優勝するためには、その二人にも勝たなければならなかったですから。初優勝した前の場所は、ケガで休場していました。その期間には、トレーニングを兼ねて山登りをするなど、これまでとは違うことにも取り組みました。
だから、初優勝はワンチャンスをつかんだものではありません。それまで負けた時には、「何が悪かったのか」「どこが足りなかったのか」を必ず考えるようにしていました。そうやって一つひとつ学び、経験を積み重ねてきたことが、初優勝につながったのだと思います。

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━━現役時代に得た大きな教訓、人生訓などはありますか
とにかく、何事にも必死に取り組むことだけです。若い頃は、周りの力士が休んでいる時間にも稽古をしていました。みんながお菓子を食べている時には、チーズやヨーグルトを買って、タンパク質をとるようにしていました。私は大学1年生で入門したので、周囲には15歳くらいの若い力士もいました。年齢も違うし、それまでの経験も違う。だから、みんなの2倍、3倍努力しないと追いつけないと思っていました。
結局、大事なのは、必死に取り組むこと。それだけだと思います。
【ケガも挫折も、初心に戻る――何度でも前を向くために】
━━ケガも多かったと思います。2カ月に1回本場所があるので、なかなか完治しにくかったと想像しますが、どのようにケガと向き合っていましたか
例えば膝をケガしたとしても、上半身のトレーニングはできます。逆に上半身を痛めていても、下半身のトレーニングはできます。風邪をひいて熱がある時とかは別ですけどね(笑)。
現役時代は、1日も稽古を休んだことはありませんでした。ケガをしたからといって、すべてを止める必要はないと思っていたんです。その時にできることを探して、できることをやる。結局は、自分でやるしかないですから。引退のきっかけになったのは、左肩と右膝のケガでした。それでも稽古を1日も休まなかったので、「やり切った」という思いもありました。だからこそ、最後までやり切ったという気持ちを持って、悔いなく引退することができました。
━━挫折や失敗からどうやって立ち直りましたか
負けることは仕方ありません。ただ、大きなケガをすると、精神的にも大きな影響を受けます。「本当に大丈夫なのか」「本当に復帰できるのか」と不安になることもありました。そういう時こそ、初心に立ち返るようにしていました。
新弟子と同じ時間に起きて、一緒に稽古をする。そして、自分自身を見つめ直す感じですね。「なぜ自分はこの世界にいるのか」「何が目標なのか」。そうやって初心に戻って考えることで、また前を向くことができました。うまくいかない時ほど、原点に戻ることが大事なのだと思います。
【大関として背負った責任とプレッシャー――相撲を忘れる時間も必要だった】
━━現役時代、ストレスやプレッシャーは感じましたか
そうですね。大関になると、相撲協会の看板を背負う立場になります。自分の行動にも責任を持たなければなりませんし、外出すれば多くの人が集まってくる。私は背も高くて目立つので、どこに行っても気づかれてしまいました。なので、本場所が終わると、人目を避けて地方の温泉へ出かけることもありました。
場所中は、よく映画を見ていました。当時は今のようにインターネットで手軽に映画を見られる環境ではなかったので、近くのTSUTAYAでDVDを借りてきて見ていました。お酒を飲む人もいれば、早く寝る人もいます。でも、私にとっては映画を見ることが気分転換になっていました。相撲のことを忘れられるのが良かったんです。早く寝ようと布団に入っても、いろいろ考えてしまいますからね。映画を見ている間だけでも相撲から離れて、頭を切り替える。自分にとっては、そういう時間が必要だったんだと思います。
━━入門当社から注目を集め、番付も順調に上げていかれました。ファンやメディアとはどのように向き合っていましたか
前の質問とも少し重なりますが、やはり目立ってしまっていましたから。熱が出て病院にいる時に、「写真を撮ってください」とお願いされたこともありました。こちらは熱があってしんどいのに、笑える余裕はありません(笑)。
メディアとの関係も、難しい面はありました。「なんで負けたんですか?」とか、「どこが痛いんですか?」と聞かれるんです。でも、負けた理由をすべて話せるわけではないし、相手がいる競技なので、痛めている箇所を明かせるわけでもない。こちらにも言えないことがあるんですよね。大勢の記者に囲まれながら帰ると、たまに草履を踏まれたり、蹴られたりすることもありました。その時に「踏まないでよ」とちょっと強めに言うと、翌日には「負けてイライラ」とか書かれてしまうんです(笑)。今振り返ると、それだけ注目していただいていたということでもあるのですが、当時は当時で、いろいろと難しさがありましたね。
鳴戸親方インタビュー 後編 「嫌だったら強くなれ」成功以外の選択肢を捨てた覚悟は9月21日公開
〈プロフィール〉

鳴戸 勝紀(元大関・琴欧洲)
1983年2月19日生まれ。第15代鳴戸親方(元大関・琴欧洲)。ブルガリア・ヴェリコ・タルノヴォ出身。
レスリング選手として活躍後、2002年に佐渡ヶ嶽部屋に入門し同年11月場所で初土俵を踏む。恵まれた体格と懐の深さを活かした四つ相撲で頭角を現し、初土俵から史上最速(当時)となる14場所で新三役、19場所で大関昇進を果たした。
2008年5月場所ではヨーロッパ出身力士として史上初となる幕内最高優勝を達成。大関在位47場所を記録し、幕内通算466勝を挙げるなど長年にわたり角界の上位を支え続けた。
2014年3月場所で現役を引退。2017年に独立し、ヨーロッパ出身者として初の部屋持ち師匠となり、現在も後進の指導と育成に尽力している。
