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ミニマムタックス税制とシンガポール移住|「海外に逃げれば非課税」は本当か?

「シンガポールに移住すればキャピタルゲインは非課税」——経営者仲間やプライベートバンカーから、こんな話を聞いたことはないでしょうか。

たしかに、シンガポールには相続税・贈与税がなく、株式の売却益も原則非課税です。日本のミニマムタックスが2027年から大幅に強化されることを受け、移住を検討する経営者が増えているのも事実です。

しかし、オーナー経営者が自社株を売却するケースに限れば、シンガポールに移住しても税負担はほぼ変わりません。出国税、事業譲渡類似株式、そしてミニマムタックスの3つの壁が、「移住すれば解決」というシナリオを阻みます。

本記事では、前回のミニマムタックス解説記事の続編として、シンガポール税制の実態と移住による節税効果の限界、そして「それでも移住にメリットがあるケース」までを、シミュレーションを交えて解説します。

1. シンガポール移住で税金はゼロになるのか?——日本との税制比較

前回の記事では、2027年のミニマムタックス改正により、M&A売却額3.5億円超の経営者も増税の射程圏内に入ることをお伝えしました。

では、「シンガポールに移住すればキャピタルゲインは非課税になる」という話は本当なのでしょうか。結論から言えば、半分は正しく、半分は誤解です。

本記事では、その実態を具体的な数字とともに検証します。

 1-1. シンガポール税制の3大メリット

シンガポールが富裕層・経営者の移住先として人気を集める理由は、税制面の優位性にあります。特に大きいのは以下の3点です。

・キャピタルゲイン非課税:資本取引から生じる株式・不動産の売却益は原則として課税されません

・相続税・贈与税がゼロ:シンガポールにはそもそも相続税・贈与税の制度がありません

・所得税の最高税率が低い:最高税率24%で、住民税もありません

日本では株式売却益に約20.315%、さらにミニマムタックスで最大30%の負担が求められ、相続税は最高55%に達します。

数字だけを比較すれば、シンガポールの税制が圧倒的に有利に見えるのは当然です。

※参照:JETRO「税制|シンガポール」
https://www.jetro.go.jp/world/asia/sg/invest_04.html

 1-2. 日本 vs シンガポール 主要税目の比較表

項目日本シンガポール
キャピタルゲイン課税約20.315%非課税(資本取引の場合)
所得税最高税率55%(所得税45%+住民税10%)24%(住民税なし)
ミニマムタックスあり(2027年〜さらに強化)なし(ただし日本の国内源泉所得には適用あり)
相続税最高55%なし
贈与税最高55%なし
法人税実効税率 約30%17%(部分免税あり)

※シンガポールにおけるキャピタルゲイン非課税は「資本取引」に該当する場合に限られます。一定の不動産法人の株式の譲渡及び下記の要件を満たさない株式の譲渡については、①対象資産、②資産の保有期間、③取引の継続性・頻度、④資産購入時の動機・意図、⑤資産売却時の状況、⑥その他要素を総合的に判断し、資本取引に該当するか判定されます。

 1. 売却した企業が、売却される企業の株式の20%以上を保有している場合

 2. 売却した企業が、売却時までの24カ月間以上、継続して株式の20%以上を保有している場合

上記の要件を満たす場合は、原則として資本取引として扱われます。

この比較表だけを見れば、「今すぐシンガポールに移住すべき」と思えるかもしれません。

しかし、オーナー経営者が自社株を売却するケースでは、この表通りのメリットを享受できないことが多いのです。

次章では、移住しても税負担が変わらない「3つの壁」を解説します。

※参照:ネイチャーグループ「シンガポールの所得税・法人税の税制を紹介!日本との違い」
https://nature-inter.com/lounge/8379

2. 「移住すれば非課税」が通用しない3つの壁

シンガポールの税制が有利であることは事実です。

しかし、オーナー経営者が自社株を売却する場面では、移住しても日本の課税から逃れられないケースがほとんどです。

ここでは、移住前に必ず理解しておくべき3つの壁を解説します。

 2-1. 出国税(国外転出時課税)——売る前に課税される

最初の壁は、そもそも日本を出る段階で発生します。

2015年7月から施行された「国外転出時課税制度(通称:出国税)」により、以下の3つの条件をすべて満たす方は、出国時点で保有資産の含み益に対して所得税が課されます。

【出国税の適用条件】

条件内容
資産額有価証券等の評価額が1億円以上
居住歴過去10年以内に日本に5年以上居住
転出海外に住所を移転(非居住者化)する

ポイントは、実際に売却していなくても「売却したとみなして」課税される点です。

たとえば、取得価格1億円・時価15億円の自社株を保有したままシンガポールに移住する場合、含み益14億円に対して約20%の所得税及び住民税(約2.8億円)が出国時に発生します。

ただし、以下の救済措置もあります。

・納税猶予制度:納税管理人の届出等の手続きをし、担保の提供をした場合には、最長10年間の猶予が可能

・帰国時の取消し:猶予期間内に帰国し、引き続き株式を保有していれば課税が取り消される

とはいえ、猶予はあくまで「先延ばし」であり、免除ではありません。猶予されていた所得税を納付する場合には、納税猶予がされた期間に応じた利子税も納付しなければなりません。移住前に必ず税務シミュレーションが必要です。

※参照:三井住友銀行「国外転出時課税制度(出国税)とは?」
https://www.smbc.co.jp/kojin/asset-management/wealth/kokusai-souzoku/004/

※参照:国税庁「No.1478 国外転出をする場合の譲渡所得等の特例」
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1478.htm

 2-2. 事業譲渡類似株式——移住しても日本で課税される

2つ目の壁は、移住後の株式売却時に立ちはだかります。

「シンガポールに移住してから自社株を売れば、キャピタルゲイン非課税のはず」

これが多くの経営者が抱く期待です。しかし、オーナー経営者の自社株売却は、ほぼ確実に「事業譲渡類似株式」に該当し、非居住者であっても日本で課税されます。

【事業譲渡類似株式に該当する2つの要件】

要件内容
①所有株式数要件譲渡年以前3年以内のいずれかの時点で、発行済株式の25%以上を保有
②譲渡株式数要件譲渡年において、発行済株式の5%以上を譲渡

オーナー経営者が自社株を100%保有し、M&Aで全株を売却するケースは、この2要件を完全に満たします。

さらに重要なのが、日本・シンガポール租税条約第13条の存在です。同条約では、事業譲渡類似株式の譲渡益について日本にも課税権があると明確に規定されています。

つまり、シンガポール側ではキャピタルゲイン非課税であっても、日本側での申告・納税義務は残るのです。

なお、すべての国の租税条約がこのような規定を持つわけではありません。たとえば日米租税条約では、事業譲渡類似株式であっても居住地国(米国)でのみ課税されるとされています。

移住先の選択肢として租税条約の内容を比較することも重要ですが、シンガポールについてはこの壁が存在します。

※参照:あすか税理士法人「非居住者(海外居住)が日本の株式を譲渡した場合の課税」
https://www.asuka-c.com/cms/blog/非居住者が日本の株式を譲渡した場合/

※参照:日本M&Aセンター「海外在住の株主が日本の会社の株式を譲渡したら」
https://www.nihon-ma.co.jp/columns/2024/x20240228-991/

 2-3. 非居住者にもミニマムタックスは適用される

3つ目の壁が、本シリーズのテーマであるミニマムタックスです。

前章で見た通り、事業譲渡類似株式の売却により日本の国内源泉所得が発生する場合、非居住者であってもミニマムタックスの計算対象になります。

つまり、シンガポールに移住していても、

・自社株の売却益が基準所得金額に含まれる

・改正後の計算式(控除額1.65億円・税率30%)が適用される

・追加納税額が発生する

という流れは、居住者の場合とまったく同じです。

「移住すればミニマムタックスを回避できる」という考えは、少なくともオーナー経営者の自社株売却においては完全な誤解と言えます。

では実際に、居住者と非居住者で税負担はどれだけ違うのか。次章でシミュレーションを見ていきます。

※参照:南青山アドバイザリーグループ株式会社「ミニマムタックス(超高額所得者増税)の改正と実務対応」セミナー資料(2026年4月)

3. シミュレーション——移住しても手取りは変わらない?

ここまで「3つの壁」を解説しましたが、「理屈はわかった。で、実際いくら違うの?」という疑問にお答えします。

シンガポールに移住した非居住者が日本法人の株式100%(20億円)を売却したケースで、居住者との税負担を比較します。

 3-1. 株式100%売却(20億円)の居住者 vs 非居住者 比較

以下の前提で試算します。

【前提条件】

・株式譲渡価額:20億円(取得費ゼロと仮定)

・株式保有割合:100%(事業譲渡類似株式に該当)

・その他の所得:ゼロ

・非居住者はシンガポールに移住済み

非居住者の場合、住民税5%は課されませんが、基準所得税額は居住者と同じ「20億円 × 15.315%(所得税のみ)= 約3億630万円」で計算されます。

【改正前(〜2026年)の比較】

項目居住者(日本在住)非居住者(移住後)
適用税率20.315%(所得税+住民税)15.315%(住民税なし)
ミニマムタックス追加額約6,950万円約6,950万円
合計税負担約4億7,580万円約3億7,580万円
実効税率約23.8%約18.8%
居住者との差額約1億円(住民税分)

→ 改正前でも、事業譲渡類似株式の売却では移住による節税効果は住民税5%(1億円)のみとなります。

【改正後(2027年〜)の比較】

項目居住者(日本在住)非居住者(移住後)
適用税率20.315%(所得税+住民税)15.315%(住民税なし)
ミニマムタックス追加額約2億4,420万円約2億4,420万円
合計税負担約6億5,050万円約5億5,050万円
実効税率約32.5%約27.5%
居住者との差額約1億円(住民税分)

→ 改正後も結論は同じです。ミニマムタックスの追加額は居住者と同額になるため、移住による節税効果は住民税5%(1億円)のみとなります。

【なぜ差が住民税分のみなのか?】

非居住者は住民税5%が免除されるため、通常の税負担は居住者より1億円(20億円×5%)軽くなります。

一方、ミニマムタックスの計算式では住民税は考慮されず、基準所得税額(所得税のみ)で判定されるため、ミニマムタックスの追加額は居住者・非居住者で同額になります。

結果として、居住者と非居住者の税負担の差は住民税の1億円のみとなり、移住のための費用や負担を考慮すると、節税目的での移住の効果は極めて限定的です。

 3-2. 2026年以前と2027年以降で結論が変わる

上記のシミュレーションから導かれる重要な結論を整理します。

【結論①】自社株100%売却の場合、移住しても税負担の差は住民税分のみ

事業譲渡類似株式に該当する限り、日本での課税は避けられず、ミニマムタックスも同額で適用されます。「シンガポールに移住すれば手取りが大幅に増える」は、このケースでは成り立ちません。

【結論②】売却タイミングの方がはるかに重要

移住の有無よりも、売却が2026年以内か2027年以降かの方が、税負担に与える影響は圧倒的に大きいです。

パターン合計税負担
2026年に売却(居住者)約4億7,580万円
2026年に売却(非居住者)約3億7,580万円
2027年に売却(居住者)約6億5,050万円
2027年に売却(非居住者)約5億5,050万円

→ 居住者・非居住者の差は住民税5%(1億円)のみ。売却タイミングについて2026年と2027年の差は約1億7,470万円。

つまり、「移住するかどうか」よりも「いつ売却するか」の方が、手取り額に与えるインパクトは桁違いに大きいのです。

では、シンガポール移住にはまったくメリットがないのでしょうか?実は、自社株売却以外の場面では明確なメリットが存在します。最終章で整理します。

4. それでもシンガポール移住にメリットがあるケースとは

ここまで、オーナー経営者の自社株売却においてはシンガポール移住の節税効果が住民税分(約1億円)に限られることを見てきました。では、移住にはまったく意味がないのか。答えはNoです。

自社株売却「以外」の場面では、シンガポールの税制は依然として大きなメリットを持っています。

 4-1. 移住後に新たに取得した資産の運用益

シンガポール税制のメリットが最も活きるのは、移住後に新たに取得・運用する資産です。

・上場株式の売却益 → シンガポールでは原則非課税(資本取引に該当する場合)

・配当所得 → シンガポール国内では非課税(法人段階で課税済みの場合)

・不動産の売却益 → 事業目的でなければ原則非課税

日本では、これらの所得に約20.315%の課税がかかります。

たとえば、移住後に年間1億円の運用益が継続的に発生する場合、日本との税率差は年間約2,000万円以上になります。

長期的な複利効果を考えれば、移住後の資産形成スピードには大きな差が出ます。

ポイントは、自社株を日本で売却してから移住し、その売却資金をシンガポールで再運用するという順番です。

この場合、自社株売却に対する日本の課税は避けられませんが、移住後の運用益は非課税となり、長期的なメリットを享受できます。

 4-2. 長期的な相続税・贈与税ゼロの恩恵

もう一つの大きなメリットが、相続税・贈与税がゼロである点です。

日本の相続税は最高55%に達します。数十億円規模の資産を次世代に承継する場合、相続税だけで資産の半分以上が失われるケースもあります。

シンガポールにはそもそもこの制度がないため、資産承継の効率は圧倒的に有利です。

ただし、日本の相続税が完全に免除されるには以下の条件を満たす必要があります。

【日本の相続税が課されなくなる条件】

条件内容
被相続人(親)相続開始前10年超、日本に住所がないこと
相続人(子)相続開始前10年超、日本に住所がないこと
対象資産日本国外にある財産

つまり、「移住してすぐに相続が発生した」ケースでは、日本の相続税が適用される可能性があります。相続税対策としてのシンガポール移住は、10年以上の長期的な視点で計画する必要があります。

 4-3. 移住を検討する前に確認すべきチェックリスト

最後に、シンガポール移住を検討する際に事前に確認すべきポイントを整理します。

【移住前の必須チェックリスト】

・自社株を保有している場合、出国税(国外転出時課税)の影響額を試算したか

・自社株の売却は移住「前」と「後」のどちらが有利か、シミュレーションを行ったか

・事業譲渡類似株式に該当するかどうか確認したか

・日本・シンガポール租税条約第13条の内容を理解しているか

・非居住者要件を実質的に満たせるか(年間183日以上の海外滞在、家族の居住地、事業拠点の所在)

・形式的な移住(住民票のみ移動)が税務当局に否認されるリスクを理解しているか

・相続税の免除を受けるための10年要件を計画に織り込んでいるか

・シンガポールでの就労ビザ取得の見通しがあるか

一つでも確認できていない項目がある方は、移住の意思決定の前に必ず税務専門家に相談してください。

特に、2027年のミニマムタックス改正を踏まえると、多くのオーナー経営者にとっての最適解は、

・2026年中に自社株を売却する(ミニマムタックス改正前の税率が適用)

・売却後にシンガポール移住を検討する(売却資金の運用益が非課税)

・長期的な相続税対策として10年以上の計画を立てる

という順番になるケースが多いです。

「移住すれば全部解決する」という単純な話ではなく、売却タイミング・移住タイミング・相続対策を一体で設計することが、資産を最大限守るための鍵となります。

ファーストパートナーズでは、富裕層・資産形成層の方々に対して、ニーズに寄り添ったさまざまなサービスのご提案を行っております。

※ご相談は無料で承っておりますが、その内容により、個別の商品・銘柄・売買の方法・時期等に言及する場合があります。

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窪田 博行

何社かの税理士法人で法人税務を中心に、決算・申告業務、税務顧問業務に従事。中小企業から上場企業グループまで幅広いクライアントを担当し、着実に経験を積む中で、組織再編やM&A、グループ通算制度などの高度な税務案件にも関与する。その後、資産税分野にも領域を広げ、相続税申告や事業承継対策、オーナー企業の資産管理支援など、法人・個人を横断した総合的な税務コンサルティングに従事。単なる申告業務にとどまらず、経営者や資産家の意思決定に寄り添う支援を行ってきた。

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