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熊谷紗希インタビュー 前編「準備が全て」常に100%の状態で全力を出せることがプロとしての最低基準

熊谷紗希インタビュー 前編「準備が全て」常に100%の状態で全力を出せることがプロとしての最低基準

小学生の頃からの夢を実現し、世界のトップレベルで長年活躍し続けるプロフェッショナルの素顔。

北海道でサッカーに出会い、小学3年生の頃から「プロサッカー選手」を夢見てきた熊谷紗希選手。地元を離れて進学した常盤木学園高校での活躍を経て、10代で日本代表に選出され、その後は世界のトップクラブを渡り歩いてきました。

5カ国6クラブでの経験、言語や環境への適応、そして「基礎」と「準備」を何よりも大切にする姿勢。本インタビューでは、長くトップレベルで戦い続ける熊谷選手のキャリアの裏側や、サッカー以外の意外な一面、未来への思いを語っていただきました。


【夢は小学生の頃からプロサッカー選手】

実は、サッカーを始めた頃からずっと思っていました。小さい頃から将来の夢を聞かれると「プロサッカー選手」と答えていましたね。

私は北海道出身ですが、当時は全国レベルがどういうものかも全く分かっていませんでした。それでも、サッカーを始めた小学3年生くらいにはすでに「プロになりたい」と考えていましたね。その頃もある程度は女子選手もいたとは思うのですが、「どうすればプロになれるのか」という具体的な道筋までは見えていなかったと思います。それでもその気持ちはずっと変わりませんでした。

特に不安はなかったですね。

中学3年生の頃は、公立高校へ進学して、そのまま地元の社会人チームでプレーを続けるか、北海道に一つだけあった女子サッカー部のある高校へ進むかで悩んでいました。

そんな時、たまたま常盤木学園の阿部監督から声をかけていただき、1週間ほど練習に参加させてもらったのですが、それが本当に楽しくて、帰る頃には「ここに行きたい」と両親に伝えていました。

入学後は、同期や先輩の中にはホームシックになる選手もいましたが、私は大丈夫でした。不安よりも、楽しみの方が大きかったですね。


【長く活躍できる土台を作った「基礎」】

これまで多くの指導者の方々に教えていただきましたが、振り返ると「基礎」や「基本技術」をしっかり学べたことが良かったなと思います。

当時の北海道は、女子チーム自体が少なく、札幌に社会人チームが1つか2つあるかどうかという環境でした。私はその中の1つのチームに通いながら、週 2回ほど練習していました。それ以外は基本的に男子の部活動でプレーしていたんですが、その部活では走りの練習が本当に多くて、死ぬほど走りました。

そこで身につけた基礎や体力が、今まで長く競技を続けられている大きな要因の一つだと思っています。

そうですね。技術面については、基本的なことさえできていれば、あとはどのカテゴリーへ行っても練習は続きますから。

また、当時の環境は、メンタル面でも鍛えられたと思います。今振り返ると少し理不尽だなと思いながら走ることもありましたが(笑)、それも無駄じゃなかったなと感じています。

もちろん、当時のやり方が今の時代に合っているかは分からないですけどね。ただ、基礎体力づくりを徹底してやってきたことは本当に良かったなと思っています。大きなケガをしたことがないっていうのも、当時の積み重ねが生きているからだと思います。

かなり体力はついたと思います。

夜に社会人チームの練習があったので、部活動を終えてからそのままチームの練習に向かうこともよくありました。当時は週7日練習して、オフもほとんどありませんでした。

それが良かったのかどうかは分かりませんが(笑)。ただ、動き続けられる体力は確実に培われましたね。


【初めて知った世界のレベル】

最初の代表合宿では、自分らしいプレーがまったくできず、かなり落ち込みました。最後の方には「自分には無理かもしれない」と思うくらいでしたね。

当時の代表チームは長い時間をかけて積み上げてきたチームで、みんなが共通認識を持ってプレーしていました。その中に自分一人だけが入っていく難しさを感じましたね。

最終的には「自分の良いところだけを出そう」と割り切ることができましたが、正直最初の合宿が終わった時は「もう呼ばれないだろうな」と思っていました。

すごく変わりました。

代表から戻った直後、阿部監督に「私、このままでは絶対に通用しないと思います」と話したことを覚えています。

もちろん、練習メニュー自体は監督が決めますが、その中で何を意識して取り組むのかという部分は大きく変わりましたね。練習への向き合い方が変わったと思います。


【海外で学んだ駆け引き】

2019年のW杯の前、リヨンでプレーしていたシーズンですね。

バイエルン・ミュンヘン時代にもあまり試合に出られない時期はあったのですが、2019年は特に苦しかったです。シーズン終盤には他の選手の状況などもあって出場機会は増えましたが、なかなか試合に絡めず、自分の中ではもがき続けたシーズンだったと思います。監督のファーストチョイスではない、という状況が苦しかったですね。

私は日本人選手の中では比較的体格が大きい方なので、フィジカル面で極端に苦しむことはありませんでした。

ただ、スピードという部分では、日本人の中でも特別速い方じゃないので、スピードのある相手と対戦する時には難しさを感じることもありました。

その差を埋めるためには、予測や早めの準備がすごく大事だと思っています。同じように走っていては間に合わないので、相手の走るコースに先に入るとか、先に身体を当てるなどの駆け引きが必要になります。

そういった判断力や駆け引きの技術は、海外でプレーしたことで自分が身につけられた大きな財産だと思います。


【オフを楽しむこともプロの仕事】

モチベーションを保つこと自体は、そんなに難しいとは感じていません。この年齢まで続けられているということは、本当にサッカーが好きなんだと思います。

その上で大切にしているのは、サッカーを頑張るためにオフをしっかり楽しむことです。オフの日はサッカーのことを完全に忘れるわけではありませんが、会いたい人に会ったり、おいしいものを食べたりする時間がリフレッシュになります。そうした時間が、また頑張るためのエネルギーになっています。

食事は基本的に自分で作っているので、栄養バランスはある程度意識しています。もともと食に興味があって、資格を持っているわけではないですが、自分なりに栄養について学びながら作っています。

特にコロナ禍の時期は、いろいろ試しながら工夫していました。ただ、揚げ物を一切食べないとか、極端にストイックな管理をしているわけではなく、食べたいものはしっかり食べるようにしています。

ありましたね。海外では練習時間が比較的コンパクトで、「これで終わり?」と感じる日も結構ありました。

慣れない海外生活ということもあり、最初の半年で5~6キロほど体重が増えてしまったことがありました。試合には出場していましたが、体重管理も含めて新しい環境に適応するまでには1年半くらいかかりました。


【海外生活で身につけた適応力】

コツかどうかは分からないですが、かなり勉強はしましたよ。

最初に移籍したドイツでは、クラブが週3回、1回3時間のドイツ語学校を用意してくれたので、そこで一気に吸収できました。半年ほどで聞き取れるようになり、2年ほどでほぼ話せると言えるくらいになりました。

その後はフランス語やイタリア語も経験しましたが、一度ドイツ語を覚えると、文法や言葉の流れに共通する部分もあって、大体の内容が理解できるようになりましたね。フランスでは8年プレーしましたが、最初の1年半から2年ほどは、クラブのスタッフと一緒に勉強しながら覚えていった感じです。英語については、英語圏の選手たちとのコミュニケーションの中で自然と身についていった部分が大きいですね。

海外の選手は、間違いを気にせず話しながら覚えていくタイプが多い印象でしたが、私はどちらかというと、文法を理解して、書きながら覚える方が向いているタイプでしたね。

中学時代は週7日でサッカーをしていましたが、両親が学校の先生で、「好きなことをやるなら、やるべきこともしっかりやりなさい」という考え方だったので、塾にも通っていました。

そのおかげで、限られた時間の中で効率よく勉強する習慣が身についたと思います。振り返ると、中学時代が一番成績優秀だったかもしれません。

高校時代は代表活動もあり、2~3年生の頃は半分ほどしか授業に出られませんでした。それでも、仲の良い友人が腱鞘炎になると言いながらも(笑)ノートを2冊とってくれたり、本当に周囲に助けられました。

大学時代も、周りの優秀な友人たちに教えてもらいながら、テスト前は練習後に夜遅くまでファミレスで一緒に勉強をして、なんとか両立していました。

1限の授業がある時には、朝5~6時台の電車に乗ることもあり大変な毎日でしたが、中学時代に身につけた習慣があったからこそ乗り越えられたのだと思います。


【憧れが導いた海外挑戦】

2011年のドイツW杯は、私にとって初めてのW杯で、当時は世界のサッカーをまだ十分に知っているわけではありませんでした。

そんな中で海外へ行こうと思った一番の理由は、大学の先輩であり、高校時代から代表でも一緒だった安藤梢さんの存在です。私は梢さんに憧れて筑波大学へ進学し、ずっと背中を追い続けてきました。

大学2年生の終わりに梢さんがドイツへ移籍し、現地での話をいろいろ聞く中で、「いつかは私も行きたい」という思いが強くなりました。

実際にはW杯の1年前に、ドイツでプレーしてみないかという話をいただき、大会前には一人でトライアウトにも参加して契約をもらうと決めていたんです。海外挑戦を決断した原点は、やはり梢さんへの憧れだったと思います。

環境の違いについては、「こういうものだろうな」とある程度想像していました。

それまでは朝5~6時の電車に乗って学校へ行き、空き時間にもトレーニングをして、その後に浦和の練習へ向かうという生活を送っていました。本当に毎日が忙しかったんです。

一方でドイツでは、練習は1日90分ほど。自分の時間をたくさん持てるようになったんです。そこでオフの過ごし方や時間の使い方を学べたかなと思っていますね。

例えば、2日間のオフがあると、ドイツのチームメイトたちは「2日間何する?」とすごくワクワクしているんです。当時の私はドイツにそんなに友人もいないし、「1日は自主トレーニングを入れようかな」みたいな考え方でした。でも今は、2日間あったら、少し旅行に出かけたりしてリフレッシュすることも大切だと考えられるようになりましたね。

熊谷紗希インタビュー 後編「準備が全て」常に100%の状態で全力を出せることがプロとしての最低基準は7月20日公開


〈プロフィール〉


熊谷 紗希(くまがい さき)

1990年10月17日生まれ。日本の女子プロサッカー選手(DF・MF)。北海道札幌市出身。

常盤木学園高校から浦和レッズレディースを経て、2011年に欧州へ移籍。フランクフルト、リヨン、バイエルン・ミュンヘン、ASローマなど海外の強豪クラブで活躍。リヨン時代には欧州CLで複数回優勝を果たした。2025年からはイングランドのロンドン・シティ・ライオネスへ加入し、引き続き第一線で躍動している。

日本代表としては、2011年FIFA女子W杯優勝に貢献し、決勝のPK戦では最後のキッカーを務めた。2012年ロンドン五輪でも銀メダルを獲得。2017年から代表キャプテンに就任し、欧州トップレベルでの豊富な経験を活かして、長年にわたりチームの絶対的な要として牽引し続けている。

FPメディア編集部

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